主に雑談。キャプ画像はございませんm(_ _)m。
by fotomuzik
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うつ病です(5)
 この時期の生活はハードだったと思います。
 先にも書きましたが、妻も忙しい日々が続いており、夜9時前に帰宅することはほとんどなかったように思います。このころの1日はだいたい次のようなスケジュールでした。

 8:15〜子どもを保育園へ
 9:00〜仕事
 17:15〜子どものお迎え、夕食、風呂、寝かしつけ
 21:00〜再び仕事
 25/26:00〜就寝

 子どもが憎かったわけではありません。でも、仕事を中断して子育てに時間を取られなければもっと楽に生活できるのに…といつも思っていましたし、育児にあまり関与してくれない妻に苛立つこともよくありました。また、子どももまだ幼くて十分なコミュニケーションが取れなかったし、ついイライラして大声で叱ってしまうこともありました。「キレる」というのでしょうか。当然子どもはわーわー泣きますし、逆にそれが苛立ちを増します。けれども寝付いた後は、いつも寝顔を見ながら、親としての力量不足や自分の感情を子どもにぶつけたしまったことを泣きたい気持ちで反省し、何度も何度も子どもの頭を撫でながら謝っていました。怒っては自己嫌悪に陥るというこの悪循環は、やはり自分でもどうかしていたのだと思います。

 そうしているうちに秋になり、元勤務先のみんなで呑もうという話がメールが来ました。前述のような生活ばかりで僕も外に出たかったため、もちろんオーケーしました。実はこの会社は人の入れ替わりが激しく、飲み会と言ってもほとんどが退職者の集まりです。その退職者リストの中に、今でもメール友だちでいてくれる女の子がいて、その女性が先輩にメールで参加できるかどうかを尋ねていたのです。彼女の話では、先輩の奥さまからメールへの返事が来て、「自宅で療養しているので、今回は遠慮させてください」という内容だった、ということでした。

 先輩のことを忘れたわけではありませんが、毎回「調子はどうですか」と聞くのもどうかと想い、連絡は取れずにいました。もちろん忙殺されていたこともあります。先輩に申し訳ない限りです。でもこの飲み会を口実に、先輩に連絡を取って見ようという気になりました。先輩の病状への不安が再び持ち上がったことも確かです。
 僕は受話器を持ち上げ、先輩の電話番号を押しました。奥さまが出られて、先輩に替わってもらえました。聞き覚えある先輩の声です。僕のこともちゃんと覚えていてくださいました。でも話を進めていくうちにその安心感は消え、不安に変わっていきます。

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by fotomuzik | 2009-02-27 19:31 | うつ病
うつ病です(4)
 そうした安心感からか、僕は仕事に追われていました。
 しばらく前に契約社員から念願の正社員にしてもらえ、あるプロジェクトのをほぼすべて任され、必要であれば週末や祝日に仕事するのも厭いませんでした。自分が必要とされているという責任、または自分でなければできないというプライドが、そうさせていたのだと思います。

 けれども僕に正社員はしょせん縁遠いものなのかもしれません。
 やっと生活が安定すると思った矢先に、「事務所を開くから通勤して」と言われました。共働きで奥さんはふつうの外勤です。在宅で何年も過ごしていると、家事の一部分や子どもの世話は当然、僕の役割になります。
 通勤の業務命令に対して僕は、子どもの保育園の送り迎えも含めて通勤だけで往復4時間以上かかるとなると、とても無理です、働けても10時〜4時くらいです、と答えました。もちろん向こうはいい顔はしませんし、それなら事務所でできなかった仕事は家でやって、とも言われました。ちょうど夏休み前だったこともあり、そのまま悶々とした夏休みに入ることになります。一人で悩み、奥さんとも相談して出した結果は退職。そして休み明けに退職する旨を伝えました。
 もちろん自業自得です。根性が足りなかったせいもあります。僕はひどく落ち込みました。以前に派遣社員を辞めて求職活動をしたけれども、どこにも引っ掛からず、今の会社でやっと正社員になれたのに、みすみす自分からその地位を手放してしまった。自分は何てだめな人間なんだろう、と。朝早く重い気持ちで目が覚め、自殺する方法や場所を繰り返し考えていました。子どもを保育園に送って家に戻ると、仕事を始める前にひとしきり泣きました。泣かずには仕事に取りかかれないのです。アルコールがないと仕事ができなかったこともあります。ただ、子どもを残して自殺することはどうしてもできませんでした。

 そんな状態が一か月くらい続きましたが、会社のほうから、いきなり辞められても困るからフリーランスとして働いてくれ、仕事は優先的に回すから、と言われました。生活不安が少し払拭されたこともあり、何とかこのときはウツ状態は収まりました。しかし治ったわけではなく、ただ視界から消えただけだったのです。

 兆候はまず痛みとして表れました。ある日の朝、仕事に取りかかろうとして机に付いたら、肩・首・手に激痛が走り、マウスを持てないのです。キーボードを打つなんてもってのほか。そのときはまだ社員だったのですが、すぐに休暇を申し出て、近所の整形外科医でレントゲンを撮って診てもらいました。診察結果は…極度の肩こり…。病院に併設のリハビリセンターに通うよう言われました。朝から整形外科に集まってるのはほとんどが老人で、「きょうはあの人が来てないねぇ」などという、うんざりするような会話を聞きながら、それでもしばらく毎日がんばって通いました。“リハビリ”メニューは、機械であごを引っ張って首を伸ばす治療とマッサージ。機械のほうはいささか悲しい気持ちになりましたが、マッサージ(要するに肩揉み)は文句なく気持ちよかった。そのうち症状は緩和されてきたので、奥さんの肩こり解消に活かすべく、マッサージのテクニックだけ盗んで通院は勝手に止めました。

 次の兆候はふらつきで、かかりつけの内科へ。血液検査もしましたが、異常は見られず、何となく漢方薬を処方してもらいました。こちらは通院もせず、そのままほったらかしでした。

 次の身体的徴候は耳鼻咽喉科系。最初は耳鳴りでした。耳鳴りは当時始まったことではなく、ずいぶん昔から今まで、いつも甲高いキーンという音が鳴ってます。バンドをやっていたため必然的に大音量で音楽に接することが多く、そのキーンという音が気になるのは大音量で音楽を聴いたあとのことが多かったので、「これは沈黙の音なんだ」と勝手に思い込んでました。それがどうやら耳鳴りらしいと判明したのは、親友が同じ症状を訴えてたから。そこでようやく、これは病気なのか、とわかって、耳鼻科に行って聴力検査をしたものの、これも異常なし。耳あかだけ取ってもらって帰りました。

 最後の兆候は、だいぶうつ病らしくなってきます。嚥下困難です。実際には困難というほどではなかったんですが、唾液や食べ物を飲み込むときに何となく喉に引っ掛かる感じがある。ということでまた前述と同じ耳鼻科へ。こんどは鼻からカメラを入れられ、喉のようすを診てもらいました。唾液に多少粘りがあるものの、今回も異常なし。「これでも続くようなら咽頭ガンを疑ったほうがいいです」と、脅されて帰って来ました。

 とまあ、こんな感じで病院を渡り歩きました。何となく精神的な問題を疑い始めてはいましたが、精神科受診を勧めてくれたドクターはいませんでした(先生方を責めているのはありません。専門分野についてはうちの近所では評判のいいドクターばかりです)。かといって精神科受診もなかなか敷居が高く、そのまま忙殺されていました。僕のからだはいろんな不調を訴えつつも、何とか耐えてくれていたのです。

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by fotomuzik | 2009-02-26 19:33 | うつ病
うつ病です(3)
 転移性脳腫瘍、予後不良…。
 僕は最初のお見舞いのあと、しばらく食事の量も減り、タバコも吸えませんでした。脳腫瘍なんて病気は小説の中でしか起きないものだ、自分の尊敬する人が脳腫瘍になるなんてことはあり得ない、予後不良なんてこともない、先輩は絶対に治ってまたいっしょに仕事できるようになる。無理矢理そう信じていましたし、一方でネットで得た知識とそこからくる絶望もじわじわと根を張り始めていました。
 それから何回かお見舞いに行きました。先輩が生きているという事実はとても大きな安心感を与えてくれ、最初に受けたショックもある程度和らいできました。しかし手術という選択肢は先輩にはなかったようです。すでに手遅れだったのか、それとも別の理由からかはわかりません。残っていたのは放射線治療でした。
 入院から数か月後、最後にお見舞いに伺ったとき、先輩は坊主になっていました。「髪が抜けるから剃っちゃったよ」と笑って話してはいたものの、足取りはゆっくりで、病室に戻ってベッドに横になると、ゆっくりした口調で話しながら眠ってしまいました。「退院したら食べるんだ」と、枕元にはグルメ本が数冊置いてありました。先輩が眠ってしまったあと、奥さんと少し世間話をしましたが、気まずくなって、その日は早々に引き上げました。
 病院を出てからバスに揺られている途中、僕は考えていました。これはほんとうにお見舞いになっているのだろうか、先輩ご夫婦に残された時間の邪魔をしているのではないか。帰宅してからもとくに後者の疑問が大きくなり、僕がお見舞いに行ったのはこれが最後になりました。

 それから数か月後、2月後半だったと思います。突然先輩からメールが届きました。外出許可をもらって週末は家で過ごせるようになったという内容でした。悪い予感は当たらなかったんだ、やっぱり快方に向かってるんだ。もちろん喜んですぐにお祝いのメールを送りました。
 さらに1か月後には退院の報告も届きました。お見舞いのときは違い、しっかりしたいつもの先輩の文章でした。そこで安心してしまったことが後のショックを余計に大きくしてしまったのかもしれません。
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by fotomuzik | 2009-02-25 21:08 | うつ病
うつ病です(2)
 今でこそ在宅勤務をしていますが、それまではちゃんと毎日通勤していました。そこで先輩と知り合いました。最初は取っ付きにくい人だと思いましたが、時間が経つにつれ、僕の初心者的質問にもすべて丁寧に答えてくれる、経験豊富な人物だとわかりました(実際、彼はご自分の得意分野に関する著書もあります)。

 その先輩がからだの不調を訴えたのは、前年の秋ごろでした。風邪っぽくて頭痛がするので作業ができない、薬を出してもらってるが、しつこい風邪のようでなかなか良くならない。偶然にも義妹がそのころ同じような症状に苦しんでいて、検査の結果、とある病気であることが判明しました。そのため先輩にも、「もしあまり長引くようであれば一度大きな病院で検査されてみることをお勧めします」と伝えました。先輩もたぶん何かおかしいと感じていたのでしょう、しばらくして近くの総合病院で診てもらったようです。「検査入院するのでしばらく仕事を休みます」というメールが来ました。
 正直なところ、実際の病名が何かわからないにせよ、良くない兆候かもとは想像していました。先輩は見た目にはあまり健康そうには見えなかったからです。歯もあまり良くないようだし、色は浅黒かった。健康というのはからだのいろんなところに少しずつ表れるものです。
 予感は当たりました。先輩はそのまま入院しました。僕は職場の同僚たちとお見舞いに行き、そこで先輩の口から直に病名を聞くことになります。肺ガンと脳腫瘍でした。それを聞いたとき、僕らと先輩のあいだに不安定な空間ができたことを覚えています。同時に「何でオレがこういうことになっちゃったんだろうな。頭の中にゴルフボールみたいな固まりがあるんだよ」という先輩のつぶやきも。

 お見舞いのあと、僕は同僚たちと食事をしましたが、だれの口もみんな重く、無理に明るく振る舞おうとしているのがわかりました。
 先輩が亡くなって数年過ぎた今だからこそ言えることですが、僕はその事実と、その現実に飲み込まれてしまいそうな自分が怖かったんだと思います。詳しいことを先輩ご夫婦に尋ねるわけにも行かなかったので、帰宅後すぐにネットで調べ、おそらく肺ガンを原発巣とする転移性脳腫瘍だろうという結論に達しました。脳腫瘍…。数ある病気の中でも最悪に近い病気。たとえ脳が原発巣であって手術で取り除いたとしても、再発の可能性は高く、予後も悪い。とくに転移性脳腫瘍の余命は1年程度。1年?
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by fotomuzik | 2009-02-24 20:13 | うつ病
うつ病です(1)
 うつ病です。病院に通い始めてから、かれこれもう4年になります。担当医には「神経症による抑鬱状態」だと言われたので、正確にはうつ病じゃないのかもしれませんが、おおざっぱにうつ病ということにして、その前提で発症から現在に至るまでの経過を書いてみます。誰のためでもなく、今この時期に、自分の身に起きたことを何かかたちにしておくべきではないかと思ったからです。

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by fotomuzik | 2009-02-22 20:56 | うつ病