主に雑談。キャプ画像はございませんm(_ _)m。
by fotomuzik
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カテゴリ:うつ病( 20 )
減薬
 きょうは診察とカウンセリング。カウンセリングの内容や、ドクターと「うつ状態はもうない」こと確認した結果、ドグマチールを半減することにした。過去に自分から減薬をお願いしてひどい目にあったドグマチールさんなので、いきなりゼロにすることにはちょっと躊躇した。そこで、「半分にできませんか?」とお願いしたら可能だということで、半減して様子を見ることに。診察室から出るときには不安感よりも嬉しさのほうが大きかったな。ドグマチールは50mg以下の錠剤はないので、薬局で半分に割ってもらった。さてどうなるか…。


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by fotomuzik | 2009-03-19 13:30 | うつ病
うつ病です(10)
 いま飲んでいる薬は、以下の計6錠。

 夕食後
 ・ドグマチール50mg
 ・パキシル10mg
 ・メイラックス1mg

 就寝前
 ・ベンザリン10
 ・デパス1mg
 ・ドラール15

 メイラックスはそろそろいらないような気がしてます。なんだか一日中眠いのも半減期が長いせいではないかと疑ってるからです。気分的な落ち込みはないにしても、夜、何度も目が覚め、睡眠が浅い状態は変わりません。慢性的な睡眠不足なので、仕事をしていても午前中が勝負です。食後はとたんに眠くなり、昼寝してしまいます。昼寝するから夜寝られないのでは?と言われてもしかたないのですが、眠いものは眠いんです。
 ドグマチールも太るので止めたい薬の候補No.1ですが、過去2回、自分から中止を申し出てみごとに2回とも“落ちた”ので、怖くてドクターに任せてます。

 昼寝も夜も入眠に問題はなく、ころっと寝てしまうので、眠剤系はそれなりに効いてるのかな。ひどいときは悪夢を見て5分おきに目が覚め、また寝るたびにその続きを延々と見たりしてて、怖くて布団で寝られず、朝3時くらいからリビングに移動してました。テレビを見ながらソファで横になってると、そのうち何となく睡魔が襲ってきて仮眠を取る感じ。いまは途中で目が覚めようが悪夢を見ようが、5時前後までは無理矢理ふとんで寝るようにしてます。そのほうが睡眠の質として多少はましかなと思い始めたので。

 さてどれくらいのペースで減薬になるのでしょうか。

高幡不動尊にて。右端のマンションが邪魔ですね。もう少し景観を考えて欲しかった>日野市さん
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by fotomuzik | 2009-03-08 12:44 | うつ病
うつ病です(9)
 すぐに女性のカウンセラーを紹介されました。どういう経緯で彼女が割り当てられたのかは今でも不明です。年齢? 経験? 出身地? それとも単に時間に空きがあったから?
 最初に聞かれたことは「一番古い記憶」でした。僕は「姉と庭で砂遊びをしている光景」と答えました。正直なところ、それがほんとうに最も古い記憶なのかどうかは自信ありませんが、そのとき頭に浮かんだのはその答えでした。それから数回は、ひたすら僕の家族構成や経歴なんかを聞かれるがままに答えていきました。まずは事実を把握するところから、ということなのでしょうか。
 最初のうちは、ちょっとたとえようのない疲れ方でした。カウンセリングにもいろいろ種類があるようですが、僕が受けているのは「傾聴型」で、ほとんどの時間をクライアントが話し、カウンセラーはその内容を傾聴し、ときどき整理し、同意するというものです。ただ話してるだけなのに、終わったときには頭も体も疲れ切っています。もっとも、カウンセラーは話の内容をおどろくほどよく覚えているので、彼女も神経を使ってると思いますが…。

 僕はカウンセリングに対して「潜る」ということばを使います。僕は泳げないので、潜ることはとうぜんとても怖い。でも自分の中に潜って何かを拾ってくる。この作業がたぶん、ふだん使わない脳の部分を使うため、疲れにつながるんだと思います。カウンセリングを始めて4年。疲れの程度には以前とは雲泥の差がありますが、いまでもカウンセリング後には、じわっとした疲労感に襲われます。会計待ちのあいだは放心しているか、話すことで新しく見つかった課題なんかをそれとなく考えているかのどちらかです。

 さて、この4年間に、思い付いたことはほぼすべてカウンセラーに話してきました。親友にも妻にも話していないことを含めて。夢など、前もって話題を用意していくときもありますし、漠然としたアイデアをただ話すときもあります。そうしているうちに、僕をずっと悩ませていた夢(自分にとっては悪夢)を見ることは不思議となくなりました。その他にも、「ことば」にすることによって霧散した問題もたくさんあります。そして、確実に自分に近付いている気がします。いまの感じでは中学生時代前後に戻りつつ近付いています。ここら辺から人生をやり直すのか、ここからさらに別の展開があるのかはよくわかりません。不安はありませんが、発症前の自分のかたちに戻ることはないと思います。

 時間はかかりましたが、うつ症状はようやく消えつつあります。料理学校に通ってみようかなとも思うし(お金がかかるので、実現はちょっと先になりそうですが)、ドラムを習い直してみようかなとも思います。担当医に何度も尋ねられた「やる気」とは違う気がしますし、そもそも“やる気”がなんなのかはいまだに不明なままですが、少なくとも去年の秋くらいから徐々に自分の向きが変わってきたのは確かです。
 決定的なポジティブな効果をもたらしたと自分で確信しているのは、お正月にだれかのお葬式の夢を見たこと——霊柩車が出棺を待っているのに、狭い道にどこかの葬儀社のテントが設営されていて車が出られない。そこで僕が自分でテントを力任せにどかせ、横を流れる川に落としました。ようやく車が出られるようなったら急に悲しくなり、声を上げて泣く夢です。目が覚めるとほんとに泣いていましたが、不思議と悲しみはなく、むしろさっぱりした気分でした。
 解釈はいろいろあるでしょうが、自分ではこれは亡くなった先輩の夢だったと思っています。先輩が亡くなったのに泣くのをこらえてしまった、お葬式にも出られなかった、彼の死を自分の目で確認できていなかった等々、自分の中につかえていた想いが涙とともに流れていった気がしました。「もういいじゃないか、そろそろちゃんと送ってやれよ」と、自分の中の自分が現実の自分に言っているようでした。この夢のあと、気分は一気に向上します。


 いろんなことがあって薬の増減も何度も経験しましたが、総合的に見るとカウンセリングとカウンセラーが果たした役割はとても大きかったと思います。カウンセラーによると、きちんとカウンセリングを受けておくと、うつの再発を防ぐ効果もあるらしいので、おそらくまだしばらく続けることになりそうです。
 僕は幸いにも保険適用でカウンセリングを受けることができ、その効果を体感できました。だから、うつで苦しんでる人にはカウンセリングをお勧めします。自分が自分でも驚くほど多くの問題を抱え込んでしまっていることに気付くはずです。ただ、そのためにはインチキ人生相談みたいなカウンセラーに当たらないよう、事前に十分に情報を収集して、評判の良いカウンセラーを選ぶことをお勧めします。また、先にも書いたように日本では僕の受けた「傾聴型」が主流で、イギリスなどでは認知行動療法と呼ばれる方法が多いようです。傾聴型はカウンセラーの反応がわかりにくいという欠点・不満は残りますが、テレビで観た認知行動型のように質問をたたみかけられるのは自分には合わなかったろうなと思います。もちろん人生について余計なアドバイスをするようなものではありませんが、「うるさーいっ!」となっていたに違いない。この辺はたぶん国民性も関係してくるのでは、と思います。
 はぁ。さて、僕はこれからどこへ向かうんだろう。

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by fotomuzik | 2009-03-04 11:53 | うつ病
うつ病です(8)
 幸いにも僕には精神科看護士の友人がいました。彼女に相談したところ、「まず『死にたい』と思ってるかどうか。思ってるなら体が動くうちに病院行ったほうがいいよ」とアドバイスをもらいました。それに後押しされて、ようやく精神科を受診しました。○○クリニックとか△△心療内科は近所にもいくつかありますが、比較的大きな病院を選び、受診しました。1時間弱かけてじっくり話を聞いてもらい、「神経症による抑うつ状態」と診断されました。例の「恐怖を覚えた風景」についても話しましたが、「ほんとうに見たんですね?」と聞き直されました。そのときは、恐怖感を伝えるのは難しいのかなと思いましたが、あとで調べてみると、幻聴・幻覚症状がないかどうかを心配してくださってたんですね。
 安定剤と抗うつ剤をたっぷり処方してもらいました。それから仕事はしばらく休むように、と。安定剤はメイラックスを朝晩、抗うつ剤はパキシルだったかな。仕事の請負先には私情でしばらく仕事を引き受けられない旨を伝え、休みました。疲れ切った頭と体にはメイラックスは効果覿面だったようで、朝から晩までソファで眠りました。
 抗うつ剤は通常、数週間で効果が現れてくると言われてますが、僕には実感できるほどの効果はなかったように思います。そのためしばらくしてドグマチールが追加。これは別の意味で効きました。僕は小食なほうだと思いますが、もう朝から晩までおなかが空いてしょうがない、しかもいくらでも入る。胃が根を上げるようになるまでの数か月、一日5食くらい食べてました。そして太った。15Kg以上…。

 僕は薬のせいもあって、ぼーっとしてましたが、奥さんは気が気ではなかったようです。表情もさえないし、「帰宅したら子どもを道連れに血まみれになって死んでるんじゃないか」と心配して、電車の中でパニックになりかけたこともあったらしい。迷惑をかけて申し訳なく思います。育児も神経症の一因でありながら、子どものことを考えると死ねなかったというのは、矛盾する話です。しかし今になって思うと、やはり妻と子どもは自殺を思い止まらせる大きな要因だったことは間違いありません。

 何か月か経つと、「やる気は出ましたか?」と訊かれるようになりました。“やる気”と言われても何だかよくわからない。積極的にものごとに取り組もうという姿勢でしょうか? そんなものありません、そもそもかつてあったのかどうかもよくわかりません、と答えました。何もせずにこんな数か月を過ごしていると、いやでもいろいろ考えます。一つ気付いたのは、自分の中には暗くて冷たい場所があり、いまはそれがとても大きくなっている。そしてそれはたぶん僕がここ十数年のあいだ、ずっと抱え続けてきた問題であり、薬では解消しないものではないかということです。そこで担当医と相談し、幸い保険も利くようなので、カウンセリングを受けてみることにしました。
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by fotomuzik | 2009-03-03 10:08 | うつ病
うつ病です(7)
 あいかわらず仕事は多忙でしたが、先輩の死の衝撃はもう隠しようがなくなっていました。仕事をしていてもそのことばかり考えているような状態です。苦しむことなく亡くなったのか、もっと何かできることはなかったか、元勤務先は会社として何かお見舞いをしたのか、先輩をこんな風にしてしまった責任の一端は会社にもあるんじゃないのか、等々。

 元同僚たちに連絡を取ってお香典をお送りし、ぜひご焼香をあげさせてほしいと奥さまに手紙でお願いしたのですが、奥さまからお返事はいただけませんでした。自分の目で先輩の死を確実な事実として受け入れる機会を逃してしまったことは、後を引くことになります。

 それから約一か月経ったある日、仕事の請け負い先、つまり元勤務先の社長から信じられないような依頼がありました。「大きなプロジェクトがあるので、“社員として”参加してくれないか。名刺も用意するから」確かにマネージャーは新人だったので、僕が客先に行ったほうが理解が早いであろうことはわかります。でももちろん気は進みません。それならなんで社員にしておいてくれないんだという想いもありましたし、先輩が亡くなったことに対する怒りを会社に向けていたこともあります。しかし立場の弱いフリーランスとしては、引き受けざるを得ませんでした。
 確かに大きなプロジェクトでした。内容はよくわかりましたし、会議も無事に終わりました。けれどもふだんあまり人と接せずに仕事をしているので、スーツを着て上の人と話をするのはとても疲れました。

 いま考えるとその疲れもあったんでしょうし、先輩が亡くなってから精神状態が不安定だったこともあると思います。会議の帰途、僕は音楽を聞く気にもなれず、ただドア近くの席に立って外を眺めていました(野坂昭如氏が「男が電車で席に座るな」と言っていたことに妙に納得し、僕はよほどガラガラでない限り、電車では座りません。彼の作品が好きかどうかは別ですが…)。
 とある駅で電車が止まったときのことでした。どこの駅かは正確に思い出せないのですが、電車が停車すると、何も音がしないような郊外の駅だったと思います。急な坂道の上に、ほとんど沈みかかった太陽が少しだけ輝いています。それ以外の空は紫のようなオレンジのような色でした。その坂道の脇に小さな会社がありました。二階のオフィスらしき場所には煌々と蛍光灯が輝いていました。そして一階の駐車場のような場所には会議用の長テーブルとパイプ椅子が雑然と置かれ、テーブルの上には紙コップや書類が散らばっていました。ほんの少し前まで会議が行われていたような様子です。でも違和感がありました。だれもいないのです。オフィスにも、その会議の場にも、さらには坂道にも。
 僕はその光景に瞬間的に例えようのない恐怖感を覚えました。後にも先にもああいう感じの恐怖を味わったのはそのときだけです。自分がだれもいない世界に来てしまったのではないか、間違った時間に紛れ込んでしまったのではないか。反射的に車内を振り返ると、そこにはいつもの帰宅列車特有の疲れた客と空気がありました。僕はそのとき初めて、「ああ、僕はもうダメかもしれない」と思ったのです。

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by fotomuzik | 2009-03-02 19:36 | うつ病
うつ病です(5)
 この時期の生活はハードだったと思います。
 先にも書きましたが、妻も忙しい日々が続いており、夜9時前に帰宅することはほとんどなかったように思います。このころの1日はだいたい次のようなスケジュールでした。

 8:15〜子どもを保育園へ
 9:00〜仕事
 17:15〜子どものお迎え、夕食、風呂、寝かしつけ
 21:00〜再び仕事
 25/26:00〜就寝

 子どもが憎かったわけではありません。でも、仕事を中断して子育てに時間を取られなければもっと楽に生活できるのに…といつも思っていましたし、育児にあまり関与してくれない妻に苛立つこともよくありました。また、子どももまだ幼くて十分なコミュニケーションが取れなかったし、ついイライラして大声で叱ってしまうこともありました。「キレる」というのでしょうか。当然子どもはわーわー泣きますし、逆にそれが苛立ちを増します。けれども寝付いた後は、いつも寝顔を見ながら、親としての力量不足や自分の感情を子どもにぶつけたしまったことを泣きたい気持ちで反省し、何度も何度も子どもの頭を撫でながら謝っていました。怒っては自己嫌悪に陥るというこの悪循環は、やはり自分でもどうかしていたのだと思います。

 そうしているうちに秋になり、元勤務先のみんなで呑もうという話がメールが来ました。前述のような生活ばかりで僕も外に出たかったため、もちろんオーケーしました。実はこの会社は人の入れ替わりが激しく、飲み会と言ってもほとんどが退職者の集まりです。その退職者リストの中に、今でもメール友だちでいてくれる女の子がいて、その女性が先輩にメールで参加できるかどうかを尋ねていたのです。彼女の話では、先輩の奥さまからメールへの返事が来て、「自宅で療養しているので、今回は遠慮させてください」という内容だった、ということでした。

 先輩のことを忘れたわけではありませんが、毎回「調子はどうですか」と聞くのもどうかと想い、連絡は取れずにいました。もちろん忙殺されていたこともあります。先輩に申し訳ない限りです。でもこの飲み会を口実に、先輩に連絡を取って見ようという気になりました。先輩の病状への不安が再び持ち上がったことも確かです。
 僕は受話器を持ち上げ、先輩の電話番号を押しました。奥さまが出られて、先輩に替わってもらえました。聞き覚えある先輩の声です。僕のこともちゃんと覚えていてくださいました。でも話を進めていくうちにその安心感は消え、不安に変わっていきます。

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by fotomuzik | 2009-02-27 19:31 | うつ病
うつ病です(4)
 そうした安心感からか、僕は仕事に追われていました。
 しばらく前に契約社員から念願の正社員にしてもらえ、あるプロジェクトのをほぼすべて任され、必要であれば週末や祝日に仕事するのも厭いませんでした。自分が必要とされているという責任、または自分でなければできないというプライドが、そうさせていたのだと思います。

 けれども僕に正社員はしょせん縁遠いものなのかもしれません。
 やっと生活が安定すると思った矢先に、「事務所を開くから通勤して」と言われました。共働きで奥さんはふつうの外勤です。在宅で何年も過ごしていると、家事の一部分や子どもの世話は当然、僕の役割になります。
 通勤の業務命令に対して僕は、子どもの保育園の送り迎えも含めて通勤だけで往復4時間以上かかるとなると、とても無理です、働けても10時〜4時くらいです、と答えました。もちろん向こうはいい顔はしませんし、それなら事務所でできなかった仕事は家でやって、とも言われました。ちょうど夏休み前だったこともあり、そのまま悶々とした夏休みに入ることになります。一人で悩み、奥さんとも相談して出した結果は退職。そして休み明けに退職する旨を伝えました。
 もちろん自業自得です。根性が足りなかったせいもあります。僕はひどく落ち込みました。以前に派遣社員を辞めて求職活動をしたけれども、どこにも引っ掛からず、今の会社でやっと正社員になれたのに、みすみす自分からその地位を手放してしまった。自分は何てだめな人間なんだろう、と。朝早く重い気持ちで目が覚め、自殺する方法や場所を繰り返し考えていました。子どもを保育園に送って家に戻ると、仕事を始める前にひとしきり泣きました。泣かずには仕事に取りかかれないのです。アルコールがないと仕事ができなかったこともあります。ただ、子どもを残して自殺することはどうしてもできませんでした。

 そんな状態が一か月くらい続きましたが、会社のほうから、いきなり辞められても困るからフリーランスとして働いてくれ、仕事は優先的に回すから、と言われました。生活不安が少し払拭されたこともあり、何とかこのときはウツ状態は収まりました。しかし治ったわけではなく、ただ視界から消えただけだったのです。

 兆候はまず痛みとして表れました。ある日の朝、仕事に取りかかろうとして机に付いたら、肩・首・手に激痛が走り、マウスを持てないのです。キーボードを打つなんてもってのほか。そのときはまだ社員だったのですが、すぐに休暇を申し出て、近所の整形外科医でレントゲンを撮って診てもらいました。診察結果は…極度の肩こり…。病院に併設のリハビリセンターに通うよう言われました。朝から整形外科に集まってるのはほとんどが老人で、「きょうはあの人が来てないねぇ」などという、うんざりするような会話を聞きながら、それでもしばらく毎日がんばって通いました。“リハビリ”メニューは、機械であごを引っ張って首を伸ばす治療とマッサージ。機械のほうはいささか悲しい気持ちになりましたが、マッサージ(要するに肩揉み)は文句なく気持ちよかった。そのうち症状は緩和されてきたので、奥さんの肩こり解消に活かすべく、マッサージのテクニックだけ盗んで通院は勝手に止めました。

 次の兆候はふらつきで、かかりつけの内科へ。血液検査もしましたが、異常は見られず、何となく漢方薬を処方してもらいました。こちらは通院もせず、そのままほったらかしでした。

 次の身体的徴候は耳鼻咽喉科系。最初は耳鳴りでした。耳鳴りは当時始まったことではなく、ずいぶん昔から今まで、いつも甲高いキーンという音が鳴ってます。バンドをやっていたため必然的に大音量で音楽に接することが多く、そのキーンという音が気になるのは大音量で音楽を聴いたあとのことが多かったので、「これは沈黙の音なんだ」と勝手に思い込んでました。それがどうやら耳鳴りらしいと判明したのは、親友が同じ症状を訴えてたから。そこでようやく、これは病気なのか、とわかって、耳鼻科に行って聴力検査をしたものの、これも異常なし。耳あかだけ取ってもらって帰りました。

 最後の兆候は、だいぶうつ病らしくなってきます。嚥下困難です。実際には困難というほどではなかったんですが、唾液や食べ物を飲み込むときに何となく喉に引っ掛かる感じがある。ということでまた前述と同じ耳鼻科へ。こんどは鼻からカメラを入れられ、喉のようすを診てもらいました。唾液に多少粘りがあるものの、今回も異常なし。「これでも続くようなら咽頭ガンを疑ったほうがいいです」と、脅されて帰って来ました。

 とまあ、こんな感じで病院を渡り歩きました。何となく精神的な問題を疑い始めてはいましたが、精神科受診を勧めてくれたドクターはいませんでした(先生方を責めているのはありません。専門分野についてはうちの近所では評判のいいドクターばかりです)。かといって精神科受診もなかなか敷居が高く、そのまま忙殺されていました。僕のからだはいろんな不調を訴えつつも、何とか耐えてくれていたのです。

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by fotomuzik | 2009-02-26 19:33 | うつ病
うつ病です(3)
 転移性脳腫瘍、予後不良…。
 僕は最初のお見舞いのあと、しばらく食事の量も減り、タバコも吸えませんでした。脳腫瘍なんて病気は小説の中でしか起きないものだ、自分の尊敬する人が脳腫瘍になるなんてことはあり得ない、予後不良なんてこともない、先輩は絶対に治ってまたいっしょに仕事できるようになる。無理矢理そう信じていましたし、一方でネットで得た知識とそこからくる絶望もじわじわと根を張り始めていました。
 それから何回かお見舞いに行きました。先輩が生きているという事実はとても大きな安心感を与えてくれ、最初に受けたショックもある程度和らいできました。しかし手術という選択肢は先輩にはなかったようです。すでに手遅れだったのか、それとも別の理由からかはわかりません。残っていたのは放射線治療でした。
 入院から数か月後、最後にお見舞いに伺ったとき、先輩は坊主になっていました。「髪が抜けるから剃っちゃったよ」と笑って話してはいたものの、足取りはゆっくりで、病室に戻ってベッドに横になると、ゆっくりした口調で話しながら眠ってしまいました。「退院したら食べるんだ」と、枕元にはグルメ本が数冊置いてありました。先輩が眠ってしまったあと、奥さんと少し世間話をしましたが、気まずくなって、その日は早々に引き上げました。
 病院を出てからバスに揺られている途中、僕は考えていました。これはほんとうにお見舞いになっているのだろうか、先輩ご夫婦に残された時間の邪魔をしているのではないか。帰宅してからもとくに後者の疑問が大きくなり、僕がお見舞いに行ったのはこれが最後になりました。

 それから数か月後、2月後半だったと思います。突然先輩からメールが届きました。外出許可をもらって週末は家で過ごせるようになったという内容でした。悪い予感は当たらなかったんだ、やっぱり快方に向かってるんだ。もちろん喜んですぐにお祝いのメールを送りました。
 さらに1か月後には退院の報告も届きました。お見舞いのときは違い、しっかりしたいつもの先輩の文章でした。そこで安心してしまったことが後のショックを余計に大きくしてしまったのかもしれません。
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by fotomuzik | 2009-02-25 21:08 | うつ病
うつ病です(2)
 今でこそ在宅勤務をしていますが、それまではちゃんと毎日通勤していました。そこで先輩と知り合いました。最初は取っ付きにくい人だと思いましたが、時間が経つにつれ、僕の初心者的質問にもすべて丁寧に答えてくれる、経験豊富な人物だとわかりました(実際、彼はご自分の得意分野に関する著書もあります)。

 その先輩がからだの不調を訴えたのは、前年の秋ごろでした。風邪っぽくて頭痛がするので作業ができない、薬を出してもらってるが、しつこい風邪のようでなかなか良くならない。偶然にも義妹がそのころ同じような症状に苦しんでいて、検査の結果、とある病気であることが判明しました。そのため先輩にも、「もしあまり長引くようであれば一度大きな病院で検査されてみることをお勧めします」と伝えました。先輩もたぶん何かおかしいと感じていたのでしょう、しばらくして近くの総合病院で診てもらったようです。「検査入院するのでしばらく仕事を休みます」というメールが来ました。
 正直なところ、実際の病名が何かわからないにせよ、良くない兆候かもとは想像していました。先輩は見た目にはあまり健康そうには見えなかったからです。歯もあまり良くないようだし、色は浅黒かった。健康というのはからだのいろんなところに少しずつ表れるものです。
 予感は当たりました。先輩はそのまま入院しました。僕は職場の同僚たちとお見舞いに行き、そこで先輩の口から直に病名を聞くことになります。肺ガンと脳腫瘍でした。それを聞いたとき、僕らと先輩のあいだに不安定な空間ができたことを覚えています。同時に「何でオレがこういうことになっちゃったんだろうな。頭の中にゴルフボールみたいな固まりがあるんだよ」という先輩のつぶやきも。

 お見舞いのあと、僕は同僚たちと食事をしましたが、だれの口もみんな重く、無理に明るく振る舞おうとしているのがわかりました。
 先輩が亡くなって数年過ぎた今だからこそ言えることですが、僕はその事実と、その現実に飲み込まれてしまいそうな自分が怖かったんだと思います。詳しいことを先輩ご夫婦に尋ねるわけにも行かなかったので、帰宅後すぐにネットで調べ、おそらく肺ガンを原発巣とする転移性脳腫瘍だろうという結論に達しました。脳腫瘍…。数ある病気の中でも最悪に近い病気。たとえ脳が原発巣であって手術で取り除いたとしても、再発の可能性は高く、予後も悪い。とくに転移性脳腫瘍の余命は1年程度。1年?
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by fotomuzik | 2009-02-24 20:13 | うつ病
うつ病です(1)
 うつ病です。病院に通い始めてから、かれこれもう4年になります。担当医には「神経症による抑鬱状態」だと言われたので、正確にはうつ病じゃないのかもしれませんが、おおざっぱにうつ病ということにして、その前提で発症から現在に至るまでの経過を書いてみます。誰のためでもなく、今この時期に、自分の身に起きたことを何かかたちにしておくべきではないかと思ったからです。

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by fotomuzik | 2009-02-22 20:56 | うつ病