主に雑談。キャプ画像はございませんm(_ _)m。
by fotomuzik
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父親のモデル
 今週月曜日に伯母が亡くなったこともあって、喪に服した気分。僕が覚えている伯母さんはふっくらしていて明るい看護婦さん。メガネが印象的だった。けれどもそれも幼少時の記憶だ。あれから30年以上過ぎ、伯母は痴呆症になり、86歳で亡くなった。ご冥福をお祈りします。でも息子の顔もわからなくなっても86年も生きれば十分ではないかと思う。そのへんが、何か理不尽な力によって亡くなった先輩とは違う気がする。先輩の死は理不尽なだけでなく、僕の何かを暴力的に道連れにして引き抜いていきそうで怖かった。
 とは言うものの、抑鬱状態に陥るほどではない。Perfumeの新作を楽しむ余裕もあるし、『鴨川ホルモー』を読んで笑うこともできる。つまり音楽を聴きたい気持ちもあるし、本を読むことだってできる。同じ死でも、受ける影響はこんなに違うものなのか…。

 きょうはカウンセリングの日。若干低調気味のトーンに終止した。
 最近話題になるのは父親のこと。僕の父親は家では非常に無口だ(書いたっけ?)。ほっとくとまったく話しかけてこないし、こちらから話しかけても期待する答えが返ってくることはない。逆に、行きどころのない虚脱感が残るだけだ。

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 おやじは大手ゼネコンに勤めていた。ゴルフが好きだった。接待もあったのかもしれないが、ゴルフの練習やコンペなどで、僕が物心ついてから週末に家にいた記憶はほとんどない。さらに、ある程度の年齢になってからは他県に出向になったため、平日はまったく不在。そんなわけで、ゴルフ+出向+無口のため、おやじとのコミュニケーションはほとんどなかった。大学受験のときも、大学卒業後に就職せずにバンドを続けると言ったときも、おやじの激高や小言をくらった経験がない。いまもおやじのことを知りたいと思って、年一回帰省したときに話しかけてみるが、前述のとおり、手応えは薄い。酒を酌み交わして盛り上がる…なんてことは絶望的だ。

 僕が育児ノイローゼになったのは、このコミュニケーション不全も原因なのではないか、と最近考えるようになった。父親がどんなものか、願わくばどうあるべきか、探しても考えても、強固なモデルが自分の中に存在しないのだ(あまり強烈な存在もどうかと思うが…)。「息子は父親の背中を見て育つ」どころではない。背中のシルエットが見えるかどうかすら怪しい。

 話が少しそれるが、母親は8年前に早期の胃ガンで胃とリンパ節をほぼ全摘した。さいわいなことに5年生存率はとうに越していて再発もないし、本人は「胃を取ってからのほうが楽しい」とまで言っている。8時間近くかかった手術後、僕ら家族は医者に呼ばれ、摘出した胃を目の前に、ガンの部位について説明を受けた。取り出され、木の板にピンで留められた母親の胃袋を、姉はインテリっぽい関心を持って見ていた。妹は見ることを拒否した。父親は黙ってながめていた。僕も黙っていたが、目の前にあるものが何かわからなかった。

 自分に起きるだいたいのものごとは、何かの象徴なりメタファーなりを使えば説明できる。しかし、機能を止めた母親の胃袋は何の象徴なのかわからないまま、自分の中で8年も宙吊りになっていた。おやじはそれまで家のどこででもタバコを吸っていたので、それなりに責任を感じたのだろう。手術以降は外で吸うようになった。だからと言って、自分にも責任があるというようなことばを聞いたことはない。それまで黙り続けていたように、いまも黙り続けている。

 これでようやく話が元に戻る。母親の胃袋に対するあいまいな感情はたぶん、おやじに対する怒り、コミュニケーションを欲していた僕への無言の行為への怒りの象徴だったのだと思う(ただし、ここまで育ててくれたことにはもちろんとても感謝している。自信を持って)。絶対に爆発はしないが、爆発するかもしれないというじわじわとした恐怖を与え続ける不発弾のようなものだ。

 それはわかった。おやじから父親のモデルを引き出すことはこれからも不可能だろう。だとすると、僕は自分自身で考えてそれを築き上げなければならない。
 はぁ…。カウンセリングを通じて漠然とした感情が明らかになるのはうれしいし役立つが、けっきょく自分の人生は、納得できるまで自分で考えて過ごしていくしかないのだ。めんどくさいなぁ。
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by fotomuzik | 2009-03-26 20:46 | うつ病
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